【テーマ】
・なぜ教室やレクレーションが必要なのか。
・「生きる力」をつくるには。
・「心」をあたためる場をつくるには。
・レクレーションの盛り上げるには。
……などなど。
「なぜ教室やレクレーションが必要なのか?」
退屈しているから……。
認知症を予防するための頭の体操として……。
レクレーションの意味はそのようにとらわれることが多いようです。
しかし、高齢者、障害がある高齢者、認知症の高齢者などにとっては、「生きる力の向上につながるレクレーション」が必要です。
生きる力を失わせたものをリクリエイトするのがリクレエーションです。
高齢者にとってのそれは「社会を感じさせるもの」「人間のつながりを感じさせるもの」「人生の輝きや世界の素晴らしさを感じさせるもの」であるべきです。
「レクレーションの着地点をどこにするのか?」
どんなに風船バレーが盛り上がっても、ひとりで風船バレーをする人はいません。なぜならみんなが集まった雰囲気やそこに参加したことに手ごたえを感じるからです。
大事なことは盛り上がることではありません。
必要としている手ごたえをしっかりと心に残し、心が前を向かないと意味がありません。
具体的にいうならば、「ああ、今日はレクレーションがあってよかったわ。ぐっすり寝れそうだわ……」「明日もしっかりと生きよう」と満たされた気持ちになってくれることが高齢者向けのレクレーションの着地点になります。
それはつまり「楽しいレクレーション」だけではなく「うれしいレクレーション」を企画し実施することを目標になります。
「参加したい気持ちをつくるには?」
成功のポイントはその人のうれしさをよく知っておくということです。
それはつまり、その人の命の時間に必要な要素を考えることです。
逆にいうと、「参加したくない」「盛り上がりたくない」という人は、まずそうしたいんです。それが望みなので奪わないことが第一。その上で、体と心の機能と健康のためにも社会とのつながりが大事だし、楽しいし、前向きになるいいことだから参加しようと、みずからが感じることが大事なのだと思います。
「生きる力をつくるには?」
社会が奪われると「生きる力」も奪われます。
社会を手にすると「生きる力」を自らつくり出すようになります。
レクレーションは「社会人としての時間」を取り戻し、維持するためにとても重要な時間です。場があり、人がいて、やることがある生活環境をつくることが「生きる力」を育みます。
そもそも、高齢者のふだんの生活のなかにはいろいろな要素が少なく、そんな環境が「生きる力」を失わせてしまっています。
失った要素、欠けてしまった部分、それは何か?
生きる力をつくるには、まずそれを探ってみてください。
「レクレーションの盛り上げるには?」
高齢者は言葉にはしなくとも、「自分の命の時間」をいつも感じています。
心の底で毎日のように自分の生と死を考えている人にとって「風船バレー」は価値あるものですか?「ペットボトルボーリング」は残り少ない時間をうまく使っていることになりますか?
施設ケアは、安定した「状況」を作り出そうとしてれますが、お年寄りは「状況」を生きているのではなく、その人の「人生」を生きています。
老いた新しい自分に立ち向かって、生き方を探そうとしています。
毎日、立ち向かっています。
レクレーションが盛り上げるためには、命に立ち向かう気持ちを十分に考え、その部分を精一杯応援することだと思います。
それをふまえて「なんのためにレクレーションの場があるのか」「レクレーションすることが生きる力にとって命の時間にとってどれだけかけがえのない大切なものか」を共有することが高齢者の手ごたえを強くするポイントだと思います。
レクレーションは司会をする人によってずいぶん雰囲気が違うものです。盛り上がり方も全然違います。
結局、リードする人がどのような「目的意識」を持っているかによって変わります。
風船バレーもペットボトルボーリングも体操も歌も、ただ「場」を盛り上げようとするのではなく、その人の「人生」を盛り上げるつもりでおこなってください。そうするとレクレーションは、お年寄りにとって「生きる力」になって、おこなう意味のあるものになります。