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地域のみなさんは第二の家族。
社会療法レクレーション「来てくれる教室」・ 一般社団法人「声をかける」代表理事 富永幸二郎のホームページ
富永のおと
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2022.7.21(木)更新

人間は器です。
人によって器の形も大きさも違います。
その違いはただの個性であって、価値の違いではありません。

自分の器を見つめて、その器の大きさや形に見合った1日を送ることができた人は幸福です。自分の器にきれいに1日を満たすことができれば、人間は心がスッキリとするんです。
それは幸せとか、満足とか、そういう心理状態です。
それを1日でも多く人生で経験して人は人生の後半にとても満足した気分で暮らしていけると思います。

その器ではない器で生きた人は、なかなか自分の人生にしっくりこない。
がんばっても手応えがない。
自分の人生を生きている感じがしない。
嬉しいはずなのにそれほど嬉しくない。
そして壊れてしまいます。

でも、その遠回りの時間は誰もが経験することでもあります。
私も40歳までしっくりきてませんでしたし、今もまだ自分の器以上にがんばったり、器の形とは違う1日を送ってしまってくたびれてしまう日もあります。

でも、そういう日は成長のために必要な日なんだと私は思っています。
苦しい1日を過ごした人ほど、強くなっているはず。賢くなっているはず。
当たり前の話です。
艱難汝を玉にす、なんです。

苦しんだ人ほど遠くまで行ける。
苦しまない人ほど高くは飛べない。
それもまた事実です。
だから人間は努力するし、我慢するし、時に自分が壊れたり、家族を悲しませたりするほど、がんばってしまいます。

若いうちはその兼ね合いで誰もが苦しみます。
でも、よくしたもので、おじさんおばさんになると、ふっと熱が冷め、
さらに、おじいさんおばあさんになると、まあまあだったな、上々だったな、と思えるようになり、
良かった良かった、ありがたいありかと思えるようになるものです。

いつまでも気持ちが若いなんて、私はあまり意味がないような気がしています。
ちゃんとおじいちゃんおばあちゃんになって、その中でほんの少しのエッセンスとして若々しさを持っているくらいでいいんです。

10年おきくらいに自分の器を見つめ直す。
75歳以上は、5年おきかもしれないし、怪我や病気のタイミングで毎回するべきです。
前もって、こうなったら器がこうなる、あああなったら器がこうなる、そんな想定もとても大事だと思います。

苦しいのは器と違う器を生きているからですから。
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