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あかるい自分が何よりも大切。
社会療法レクレーション「来てくれる教室」・ 一般社団法人「声をかける」代表理事 富永幸二郎のホームページ
富永のおと
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2022.3.22(火)更新
幸せである理由、について
大谷選手についての記事を読んだ。
エンゼルスのチームメイトで、何度もMVPをとっているトラウトはこう言っているそうだ。
「二刀流はいろんな選手が目指してきた。子どもたちもきっと夢に見ている。でもオオタニはそのハードルをあげてしまった」

ホームランで50本。
ピッチャーで10勝。
どちらも一握りの選手だけで達成できることで、その選手生活のうちに何度もできるとは限らない成績。
それをどちらも。
同時に。
コンスタントに何年も。
……そんなことできるわけがない!

そして別の人はこうも言う。
「どちらかに専念したら、もっとすごい記録が残る!」


確かにプロの目からすると大谷選手はハードルをあげたのかもしれない。
そして、その予測は当たり前で、論理的で、確かかもしれない。
でも、本当にそうだろうか。

ひょっとすると、「両方やっているから両方いい」ということがあるかもしれない。
球を投げるアクション。
飛んできた球を棒で打つアクション。
確かに、ふたつのアクションに共通点はあまりない。
テニスのサーブとレシーブ。水泳のクロールと背泳ぎ。まだそれらの方が共通点が探し得る。

片方のトレーニングのために、もう一方のトレーニングに100%の時間はさけない。
でも、一方的なトレーニングでは得られない効果が、正反対、もしくは、他領域のトレーニングから効果を得ることはあり得るだろうと思う。

特に野球の投球とバッティングには、それにからむ相手との心理的な作業が必要になる。
だからこそ、その対峙し合う作業をする意味が大きいのかもしれない。

反対のことをやるからこそ達するスパイラルな効果は何にでもあると思う。


そして、なにより大事なのはミッションについて。
大谷選手はそもそも「二刀流」をミッションにしている。
どちらかの一方の達成がミッションではない。
ひょっとすると、どちらともの達成もミッションでもないのかもしれない。
投打という一体のものをミッションにしているのではないか。
つまり、野球の一刀流がミッション。

ミッションミッションとうるさいが、結局、私が何を思ったのかと言うと、
自分が得たいと思う根本的なミッションがあって、
それが自分にとって魅力的で、人に賞賛されたり、世の中の役に立つことが確かであったりすれば、
人の意見や、それまでの常識など、大きな影響力は持たなくなる。

私がまちピアノをやったり、ピアノの練習をしたり、法人を作ったり、ホームページをつくったり、アルバイトをしたり、山登りをしたり、テレビをみたり、スマホをいじったりするのも、根っこのミッションがあるから。
自分の人生時間を自分らしく楽しみ尽くそうというミッション。
その中の課題として、高齢者福祉であったり、障害者福祉であったり、その幸福感を高める活動であったり、その社会との距離を縮める活動であったりが、ミッションの中心の方にあるミッション。

それがはっきりしているから、人と違っていても揺るがない。
自分しか喜んでいなくても自信が持てる。
いつだって、「またそれをやろう!」と思える。
それに時間を費やすことが心の底から楽しいから。


話が脱線したようだけど、中心は同じ。
ピアノのことと、大谷選手のことと、自分の活動のことを考えながら至った今日の結論。
ミッションがその人をつくる。
ミッションがその人の未来。


















ミッションがあるから幸せだし、行動に自信が持てる。ぶれない。


大谷は
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