ボケるかボケないかでいうと、みんなおんなじにボケるんです。
体力や筋力が落ちるのと同じだから。
脳みその筋肉も、歳とともに、等しく落ちるんです。
でも、指先でも足腰でも、よく使っている人は長持ちするし、そうじゃない人は、いざ動かす時にさっと動かなかったりする。
だから孤独な人とか、交流の少ない人とか、プライドの高い人は、ボケやすいんじゃないかって、そんな意見がありますよね。
使っているから動きやすい、使っていないからさびつく。
これはもちろん一理ありますよね。
でも、それも実は一緒なんじゃないかと思うんです。
やっぱり脳みその「変化現象」は同じなんです。
だって、どんなに足腰を使い続けている人も最後まで同じ速度で走れないように、脳みそだってきちんと衰えます。
でも、今日質問して来た人は、100歳になってもボケるとは思えませんでした。
その方はとても交流好きで、おしゃべり好き。
たのしく言葉も交わすし、しょっちゅうつっこんだりつっこまれたりしています。
多少の失敗も笑いに変える人ですし、相手や周囲の空気を読んで、うまく整えることができる人です。
つまり、とても良く人付き合いをされる方。
そんな人だって、脳みそが衰えたら、何度も同じことを言ったり、不安な動作をしてしまったりするかもしれません。
でも、もししたとしても、「……あら、私そろそろボケてきたかな?アハハ」なんていって、うまくごまかしちゃうような気がするんです。
そういうリアクションになれていない人や、してこなかった人は、自分の変化に頭が真っ白になってしまうんです。行動が固まってしまう。おかしなことをした、どうしてだろう、失敗した、恥ずかしい……って自分を追い込んでしまう。自分のおかしなことを隠そうとしてしまう。
そういう瞬間って、まわりの人も黙らせてしまいますよね。
そして、心の中で、「……ああ、この人も少しボケてきたかな」って感じてしまう。
だから、みんなボケる。
これが結論です。
私もいつかボケるんです。
でも、ボケた時のリアクションがやわらかくて、ごく自然なことだと振る舞うことができれば、自分も周りもそれを受け止めて、「ああ、脳みそがつまづいたな。どれどれ手を貸そうか」くらいで済むんです。
なのにそれを押し隠して、ないことにして、転んでいるのに転んだまま歩き続けようとするから、まわりには違和感を感じさせてしまうんですよね。
大勢の前で転んだとか。
人前でおならをしたとか。
ズボンを履かずに家を出ちゃったとか。
今までしなかったようなことを、いつの日か自分もしてしまう。
そんな前提で過ごしていた方が、ボケた時に「深刻ではない」雰囲気のまま、みんなに自然に受け入れられる「かわいらしく」いられるのだと思います。