2020年に潰瘍性大腸炎になって以来、人生二度目の大腸検査をしてきました。
結果から言うと、「ほぼ正常」のきれいな大腸と胃でして、ほっと胸をなで下ろしています。
薬も高くて困りますが飲み続けてますし、まんえん防止期間のおかげで大腸検査もしてくることができました。
何かが止まると、その間にこっそりと何かが進むものです。
ピアノの練習と、一般社団法人「声をかける」の決算もだいぶ進みました。
どちらも根本的な勉強がかなりできたのかな。
そして、春からは「まちピアノ」をもう少し発展させるための策を練っています。
(その勉強がまたおもしろい!)
まちピアノを始めてすぐに気がついたのは、これは「解放された場づくり」であるということ。
集まる人も選ばず、特定のテーマもはっきりとない場所。
しいて言うなら「集まる場所」です。
それは「楽しい場所」であるとともに、「解決できる場所」であることが望ましいこと。
個人の問題。
家族の問題。
地域の問題。
それは、それぞれこんなこと。
「高齢、孤立、追いやられ、病気、ケガ、後遺症、心の変調、買い物、移動、通信」
「介護、育児、引きこもり、暴力、言葉の暴力、態度の暴力、家庭ゴミ」
「災害、極度の暑さ、極度の寒さ、雪、大雨、台風、水害」
それらを解決するための専門の方法はいくつもあるけれど、でも人間が昔からおこなってきたことは、「世間がくすり」です。自分の問題を世の中という大きな器に入れてしまうと、希釈され、薄まり、見えなくなってなじんでしまいます。同様に「時間がくすり」という言葉もあるけど、「閉鎖された時間」は永遠に変化の訪れにくい時間です。
風を通そう。
空気を入れ替えよう。
外に出て、人の中にいよう。
昔からの言葉が一番正しくて、やっぱり「人がくすり」。
その「人」を「世間」に集める公園(最近ずっとこればかり言ってますが)のような場所がうまくデザインできればいいのにな。
さあ、今日も、最近買った面白い本をしっかりと読み込みましょう。
おいしいものも誰かと食べるとさらに栄養になるし、作ったご飯をおいしいといってもらえればもっと元気になる。
写真は今日のお昼ご飯。
ツナときゅうりのマヨ和え。
業務スーパーで買った「ジンジャーとレモングラスの蜂蜜」を薄く塗ったトーストと。
個人の基本は家族ですね。
さあ、民主的な家族といっしょに食事をいただきましょう。