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こころを励ましてくれる身の回りの樹木に、日々の愛情を。
社会療法レクレーション「来てくれる教室」・ 一般社団法人「声をかける」代表理事 富永幸二郎のホームページ
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2025.1.31(金)更新
◯個人宅訪問・小屋の解体
庭の片隅にある築ウン10年の小屋の解体をしました。

昔、植木屋さん時代に、解体業者のアンちゃんたちが「おりゃー」「どりゃー」といいながら大きな木槌を振りまわして、木造の家やら、泥づくりの壁やら、時にはコンクリートの壁までも、ぶち抜いていたのを思い出しながら、どうにか半日で解体作業が完了しました。

できれば、上から順番に丁寧に、上品に解体したかったんです。
大きな木槌もないし。。。
気合いでなぎ倒すほどの体力もないし。。。

でも、トタン屋根の解体は、これは屋根の上ではとても無理だと言うことに気がつき、「まず建物ごと引きずり倒す」作戦に変更。

ともかく、ふつうのハンマーの3倍くらい大きなハンマーをワークマンで買っておいたよかった。
そいてで壁をぶちぬいて、壁の中から湧き出てくるゴキブリと戦って。
5センチくらいの木材ならばハンマーでバキバキとへし折って、ガンガン叩いて細かい木片をどんどんつくりました。

切り傷、打撲、は想定内。
ハンマー振り回した両掌はパンパンです。

でもどうにかこうにか、建物の土台以外は分解することができました。

となりの幼稚園が丸見えです。





↓↓↓







道具がないし、どんな段取りになるか分からないから、今日は様子見で終わるかもしれないなと思っていましたが、どうにかカタチにしておきました。
片付けとゴミ出しに関してはまた後日考えましょう。
土台の解体も大変そうだなあ。

小屋の解体の後、家主のわーさんと楽しい夕餉。
夕餉の食卓の真ん中には大きな花瓶に花束が。

「この花束どうしたんですか? あ、一月は誕生日でしたっけ!?」
「そうよ、娘たちが買ってきてくれたのよ〜」
と、目をハートにさせて言うわーさん。
しょっちゅう泊まりに来てくれる娘さん。
お祝いはもちろん、日頃の片付けやら、ショートステイの手配やら。
毎日コミュニケーションして心を尽くされている。
お婿さんだって、家に来て、おでんをつくってくれたり、ぜんざいをつくってくれたり。
お孫さんとも、ひまごちゃんとも仲良し。

幸せな、幸せな、わーさん。


一方、最近、部屋のゴミを片付けて、久しぶりに家の畳がみえてきたもーさん。
寒い部屋。
湿った布団。
カレンダーもないから曜日もわからない。
前回立ち寄ったときに、デジタル時計をプレゼントしました。
「ほらこれ、時間だけじゃなくて、曜日がわかるよ!温度と湿度もでるからね!」
「うわあ、すごい!ありがとう!」
「誕生日、いつだっけ? あれ?1月じゃなかった?誕生日プレゼント!おめでとう!!」
そう伝えるともーさんがこう言うんです。

「わたし、お母さん以外から誕生日プレゼントもらったのうまれてはじめて」



95歳で自宅で暮らして、友達もたくさんいて、家族も優しいし、あたたかな、わーさん。
まだ80歳にならないのに、足も悪くて、ゴミの片付けができなくて、いつもひとりぼっちの、もーさん。

「なんでこんなに違うんですか?」
って、聞きたくなったけど、答えなんかないような気がしたので、聞かないままにしておきました。


でも、帰りの車の中で思いついたことが2つあります。
ひとつは、わーさんは、人に頼ることがとても上手だということ。
わーさんは誰とでも仲良くなるし、誰とでも力をもらったり、あげたりすることができる。
これは今日気がついたことだけど、わーさんがどうしてそんなに人に頼ることが上手かというと、最初っから、「人と人とは助け合うものだ」って思っているからじゃないかなって、はっと気がついた。
自分だって、何かあればいつかこの人を助けるし、実際に人を助けたりしてきた。
その前提があるから、わーさんは人に対して気持ちよく接するし、世話しているわなんていばらないし、人助けをしてあげたわなんて態度は見たことがない。いつかこの人にお世話になるかもしれない、という前提があるから、気持ちよく人と交際することができる。

でも、もーさんは、大前提として口下手だし、言葉がすっと出ない。
それがあるからか、誰かに助けてというよりも、自分でできる範囲でいる方が心地いいタイプ。
ひょっとしたら私自身、もーさんに近いかもしれない。
自分のできる範囲で、自分の力だけで、できれば十分、ってどこかで思ってる。
誰かに頼んだり、誰かにお願いしたり、誰かに相談することも、私はとても苦手だし、できればしたくないと思っている。


でも、その基本姿勢が、わーさんの誕生日と、もーさんの誕生日の、違いのような気がする。
ちなみに私の去年の誕生日は誰からも連絡はない。
カミさんからのお祝いがあって、それで満足。
誰かからお祝いされると、どんな顔すればいいのかはっきりいってわからない。


でも、人間社会で生きている以上、私は、わーさんのマインドに学ぶところが大きいと感じます。
誰もが、いつかお世話になるかもしれないし、誰もが、いつか助けてあげることができるかもしれない。
そう思っていれば、もっと人のことを好きになったり、人付き合いが楽しくなったり、人生の毎日に「幸せな成果」が増えてくるような気がする。
人と付き合う面倒さや、苦しさも、すべて楽しさに変わるかもしれない。


自分自身で完結しようとしないこと。
会う人はすべていつかお世話になる人だと思うこと。
そしていつでも助けてあげるべき人だと思うこと。
そう考えていれば、わーさんみたいに、結果的にたくさんの恵みを得て、今よりももっと誰とも気持ちよく交流できるのではないかなって感じました。

その気づきが結構重要な気づきでした。


そしてもうひとつの気づいたこと。
わーさんはもちろん幸せなんだけど、でもいつも会うたびに愚痴や弱音が多いこと。
もーさんは暮らしぶりが大変そうに見えるけど、きっと不幸せだなんて思ってそうになくて、ちょっとしたことで心から喜べること。

わーさんには、つらい気持ちがいつもある。
もーさんには、つらい気持ちはあまりないように見える。



のぞむから、つらい。
のぞまないから、つらくもない。

でも、こうも言える。
のぞむから、与えられる。
のぞまないから、与えられない。



私は、まだまだ、たくさんのことを望まないといけないのは確かなのだけれど。

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