はっきり言ってまだ言葉にできません。
嬉しさとか悲しさとか、あまりにごちゃまぜで、「今日はこういう日だった」というままぐるっと丸呑みした方がいい日なのかもしれません。
コロナが始まってい以来、はじめて老人ホームの中に入りました。
私からの働きかけではなく、施設からお電話をいただきました。日曜日のことでした。
「いまだ外部の入場は不可ですが、富永先生ならば」
と。
そう言ってくれる施設はどこだろう。それはいつだろう。いずれにしてももう少し先のことだと思っていました。
『社会と離れている』
という極めて不健康で、不幸で、無で、人間的でない状況は、もちろんコロナのせいで始まりましたが、その状況を変化させていくのは人間の意思と行動。
湘南国際村のライフゆうではすでに訪問が再開していますが、あちらには医師看護師がずっといます。
そうではない、有料老人ホーム、認知症グループホーム、特養、老健。そういった閉鎖施設では私自身、足を向ける発想は持てていません。今月はいいけどまた波はくるし。私は毎週末病院で、コロナの患者さんとすれ違っているし。
まだ怖いんです。
一回一回ならまだしもです。
私の活動は、親密に話すこと、表情と声をつかって交流することです。連続して、継続して、約束して、それを守って、おたがいに顔と名前を共有し続けること。
それにはまだ自分の心の中ではゴーザインは出ていません。
でも今日、「またあの時みたいににぎやかなレクレーションと対話の場を再開してくれませんか?」とライフコミューン葉山さんに行っていただき、コロナ以来初めての高齢者入居施設の訪問再開になりました。
新しくコロナ以後の世界がはじまる記念すべき日です。
2年半、この日を待ちました。
いや、もう待ってすらいなかったかもしれません。この状況を受け止めていただけで、それ以上のことは望んでも流れに逆らうだけだと思っていました。今は今で流れに沿ってがんばっている楽しいこともあるし、仲間のみなさんもいてくれています。
もう少し流れのままでいよう。
いつの日か流れを戻そう。
その流れが変わった日になりました。
さあ、すべては過去になる。
よし、出発だ。
そんな気持ちだったのは前日までです。
前に進むというのはそれはそれで痛みを伴うもの。
いいことばかりではないものです。
経験上、がんばればがんばるほど苦しいことはよく知っています。新しいことをするときは風や波は背中も押されるし、体ごと押し戻されることも多々あります。
老人ホームの2年半。
中の様子は私は知りません。
お一人だけ、亡くなったお知らせをご家族からいただいていました。
何度も何度も声をかけて。
何度も何度も枕元で歌を歌って。
調子がいい日は声が出たり、視線があったり、でもほとんど明瞭なやりとりはなく。でも、はっきりと何年も交流してきた方でした。
他にもきっと変化があった方がいたかもと思い、前日にざっくりと状況をうかがいました。
すると、ざっと半分です。
40人ほどいるうちの、ざっと半分の名前がありませんでした。
コロナの間の2年半で亡くなってしまっていました。
レクレーションの時間にいっしょにゲラゲラ笑いあった方や、それ以外の時間にお部屋でトータルで何時間もおしゃべりをした方ばかりでした。
亡くなった理由がコロナ絡みの方もいらっしゃいました。
こういうことか。
コロナってこういうことか。
いつもいつもそうでした。
お別れも言わずにいなくなってしまって、しばらくそれに気づくこともできない。
でもそれがこんなにいっぺんに。
こんなにいっぺんなのはさすがに初めてです。
私は20人くらいの友人をいっぺんに無くしてしまいました。
最後、声をかけることもできず。
また来るね、と約束したまま。
世の中には、災害や大きな事故で近い方を亡くされる方もいます。
戦争や病気の流行もそうです。
そのつらさがほんの少しわかる体験でした。
老人ホームで誰かが亡くなったあとの教室では、なるべく心にその人のことを留めながら、なんならその人の話題を出したりします。
でも今回は追いつかないな。
そして、新しく出会う人が今日20人いるんです。
そっちが優先。
いなくなった人とは、逆に、いつだって交流でします。
そして、コロナをサバイブした20人の友人との再会を喜んで楽しまないと。。。。
やがて教室開始の1時間前にライフコミューン葉山について、いろいろ支度して、教室は始まりました。
あらためてどうぞ仲間に入れてください。
どうぞいっしょに過ごしてください。
よろしいでしょうか?
これから何回かは、そんなおうかがいの気持ちであらたに関係を築いていければと思います。
介護スタッフさんや看護師さんも、再開と再会をみなさん喜んでくださいました。
コロナはまだ終わっていませんが、この期間、すべてのことを目の当たりにしてきたスタッフさんは本当にご苦労なさったと思うし、つらいこともあったろうと思います。
本当に頭がさがります。
そして、実際の大変さつらさは私にはわかりようがありません。
わかったような顔をしながら、自分の思いをすっきりとさせていくだけしか私にはできることはありません。
満足感、物足りなさ。
誇らしさ、情けなさ。
嬉しさ、悲しさ。
やっぱりごちゃごちゃな1日です。
でも、少しでも言葉にしておかないと明日につながらないような気がしたので、今の時点で出てくる言葉で、この日のことをまとめました。
そして、いま、はっきり言えることはなんでしょう。
老人ホームには訪問が必要。
高齢期の豊さには交流が大事。
コロナ期に人間はこう生きるべき、社会はどうあるべき。
どうもそんな結論は最近どうでもいいと思うんです。
今日一日がんばって生きたな。
それで十分。
明日のためにもう少し何をしておこうかな。
それで上等。
さあ、あすへ。
という1日でした。
写真は、訪問の後、いろいろと怪我とかあってようやく実現した夕食会のお弁当。
葉山ファームの葉山牛ハンバーク弁当です。
3人のアラナイ(あれ、ひとりはアラハンかな?)の奥様がたとおいしいお肉に舌鼓。
帰宅は11時近くでした。
そして、お昼にはまちピアノにもおなじみのいーさんと夢庵でランチ。
いーさんもやはり福祉に興味があるのだとか。
そうかいそうかい、いいこといろいろ教えまっせ。
そして、いろいろです。
ともかく、まちピアノをやってて本当によかったです。私のやっていることはまあまあ正しいのかもしれないな、と思わせていただけました。
さあ、寝よう寝よう。
そして、働こう働こう。
そしてまた、すばらしい奇跡のようなこの世の中をおなかいっぱいに味わいましょう。